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麺屋こうじの物語

つけ麺の本流を継ぐ、麺屋こうじグループ。

「ラーメンの神様」山岸一雄氏の志を受け継いだ田代浩二氏が育てた、
180を超える一門。その味を、自宅で。

麺屋こうじグループとは

名前は違えど、根はひとつ。

麺屋こうじグループは、「ラーメンの神様」と称された東池袋 大勝軒・山岸一雄氏の直弟子、田代浩二氏が率いる一門です。山岸氏から受け継いだ「親子三代にわたって愛される店を」という教えを、すべての店の真ん中に置いています。

田代氏は50名を超える独立店主を世に送り出し、中華蕎麦 とみ田、麺屋 一燈、麺処 ほん田——名店の多くもこの一門から巣立ちました。

各店が、自分の屋号を掲げる。チェーンのような統一された名前ではなく、その土地・その店主の色を大切にする——だから常勝軒も四季も、名は違えど同じ一門。

田代浩二氏と山岸一雄氏

左:田代浩二氏 / 右:山岸一雄氏

つけ麺の系譜

一人の創始者から、全国へ広がった一門。

山岸一雄氏
師 ── つけ麺の創始者(東池袋 大勝軒)山岸一雄 氏
その味と心を、受け継ぐ
田代浩二氏
直系の弟子 ── 麺屋こうじグループ 会長田代浩二 氏
50名超の店主を、育てる
── 一門の店舗 ──
中華蕎麦 とみ田麺屋 一燈麺処 ほん田二代目 麺屋こうじ本庄大勝軒麺屋四季本庄常勝軒大勝軒赤ふじ熊谷ラーメンスタンド
ほか、全国に 180 店舗超。麺屋こうじグループ出身の名店が各地に広がっています。

麺屋こうじグループの特徴

「各自が、独立してる。
でも、いざとなれば旗の下に集まる」

麺屋こうじグループの特徴は、各店主がそれぞれ独立していること。屋号も自由で、統一性はありません。皆が一国一城の主として、自分の店・自分の地域に本気で向き合う。お客さん一人ひとりと顔の見える関係を築く——いわば“個人店のような商い”を、これだけの規模で続けている。これは、個人店にも、大手チェーンにも真似できないことです。それでいて、いざとなれば田代浩二氏の旗の下に集う。「リーダーは、田代さん」——バラバラの強い個が、ひとつの志でつながっている。それが、他のどのグループにもない麺屋こうじグループの強さです。

最強麺屋こうじ軍団
高橋和哉氏

二代目麺屋こうじ・高橋 和哉 氏

二代目麺屋こうじ 店主・高橋和哉氏に聞く、麺屋こうじの物語。

其の一出会い ── 設計士から、家業へ

── もともと、ラーメンの道ではなかったとか。

「家族が幸せになれるなら、自分の家で働いた方がいい」

「実は、父が営む常勝軒で、昔からアルバイトをしていたんです。だから飲食の大変さは、身に染みて分かっていた。それもあって、一度は別の道へ——建築の設計士になりました。2級建築士も取って。でも設計の仕事は、お客さんと打ち合わせしたものが“降りてくる”だけ。言われたものを作るばかりで、自分が本当にやりたいところには届かなかったんです。形を残す仕事ではあったけど、何かが違う。結局、大変だと知っていながら、自分はラーメンの世界に戻ってきた。叔父の田代(浩二)さんのもとでやってみたら、これが奥が深くて。手も気持ちも、全部自分次第。あぁ、これが自分のやりたかったことだ——と、すっと腑に落ちたんです」

其の二教え ── 味でなく、心を

── 田代さんからは、何を教わりましたか。

「教わったのは、味じゃない。“心”でした」

「田代さんから教わったのは、人とどう接するか、どういう気持ちで店に立つか——つまり“心”です。味のことは、実は教わっていないんですよ。でも、それでいい。山岸さんから田代さんへ、そして自分へ。この一門が受け継いできたのは、味の前に“心”なんです。『素直な心がないと、成長しない』。それは、いつも言われていた言葉です」

其の三気づき ──「味じゃない、人だ」

── 売上が落ちて、気づいたことがあると。

「味じゃない。お客さんとのコミュニケーションだ」

「昔“かず屋”という屋号で、週に一度イベント出店をしていたんです。一緒にやっていた親戚の兄が抜けたら、売上がガクッと下がって。お客さんには“味が違う”と言われる。でも仕込みは全部、俺がやってるんですよ。味が変わるわけがない。結局みんな、兄に“会いに”来ていたんだなと。そこで思い切って、調理8・接客2だった比率を、接客8・調理2にした。そうしたら3ヶ月で売上が戻ったんです。“誰の、何を食べるか”。大事なのは、そこなんですよ。

実はこれ、田代さんや山岸さんにも同じような話があって。田代さんがまだ修業中の頃、会長(山岸さん)が仕込んだラーメンを“出すだけ”の役をしていたそうなんです。ところが、あるお客さんに『俺はお前のラーメンを食べに来てるんじゃない。山岸さんのラーメンを食べに来てるんだ』と言われた。同じ一杯でも、会長が出すのと田代さんが出すのとでは、お客さんの感じ方がまるで違う。それだけ、山岸さんはお客さんから信頼されていたんです」

其の四師弟 ── 死ぬほど怒られて、飯に誘われた話

── 少し話題を変えて。田代さんとのやり取りや修業時代の思い出の中で、思わずクスッと笑ってしまうような印象に残るエピソードはありますか?

「怒っても、根に持たない。カラッとしてるんです」

「修業時代、田代さんに本気で叱られたことがあって。1時間くらい、こってり(笑)。それだけ真剣に向き合ってくれていたんですけど、当時は正直こたえました。ところが田代さん、叱った直後に『お前、ちょっと飯行くぞ』って誘ってくれるんです。“いやいや、こんなに叱られた後に飯なんか食えねえよ”って思いながら行ってみたら、隣で一緒に叱られた人が、普通に大盛りを食べてるんですよ。“どういう神経してんの!?”って内心ツッコミました(笑)。思わず“よくそんなに食えますね”って言ったら、“お腹空いてるからね”って(笑)。でも、それくらい肝が据わっていないと、この世界は続かない。田代さんは、叱るときは本気。だけど、あとには一切残さないんです。そのカラッとした人柄に、何度も救われてきました」

其の五継承 ── 大勝軒の暖簾と、二代目の重み

── 二代目を継ぐというのは。

「俺がどうこうじゃない。田代さんが“託すよ”と決めてくれた」

「うちには、本来なら東京・東池袋の本店にしかないはずの“大勝軒の暖簾”があるんです。これは田代さんじゃないと、絶対に持ってこれない。だから二代目を継ぐというのは、正直、ものすごい重みです。でも、俺がどうこうじゃなくて、田代さんが“託すよ”と決めてくれた。だったら自分は慢心せず、ひたむきにやるだけ。その期待に、ちゃんと応えたい。

それに、受け継ぐだけが役目じゃないとも思っていて。次の世代へ渡していくことも、同じくらい大事なんです。うちには“金曜は学生だけ”という日があって。若い子たちに、店づくりを現場で経験してもらう。彼らがいつかラーメン屋になるかもしれないし、まったく新しい価値観を持ち込んでくれるかもしれない。こっちにはノウハウがありますから、本気でラーメン屋を志すなら、成功させられる自信もある。上から受け取って、下へ手渡していく。その繰り返しが、麺屋こうじを続けていく力になると思っています」

其の六人情 ── 味の向こうにあるもの

── 味のほかに、麺屋こうじが大切にしてきたことは?

「うまいもんは、誰でも作れる。売るのは、人間だ」

「これは田代さんがよく言う言葉なんですけど——“うまいもんなんて、誰でも作れる。じゃあ何を売るかといったら、人間を売るんだ”って。たとえば東池袋の大勝軒では、開店前から並んで“待ってくれた”お客さんに、特別にメンマをお出ししていたそうなんです。『並んでくれて、ありがとう』という、気持ちのかたちですね。自分たちも、そのメンマを受け継いで、イベントなどでお出ししています。何度も足を運んでくれる常連さんを、とにかく大切にする。いまは、その常連さんから直接DMで『そろそろ、あれ食べたい』と連絡をもらって、『じゃあ次の日曜やりますよ』と返したりするんです。昔はカウンター越しの口約束だったやり取りが、いまはDMに変わっただけ。時代は変わっても、お客さん一人ひとりとの距離の近さは、ずっと引き継いでいます」

其の七これから ── 二代目として

── 最後に、これからの二代目として、どうしていきたいか教えてください。

「俺は、大勝軒がいちばん美味いと思っている」

「最近、久しぶりにイベントに出ると『麺屋こうじさんですね』と声をかけてもらえるようになりました。これは、先人たちが地道に築き上げてきたブランド価値そのものです。麺屋こうじって、ラーメン業界では本当にすごい。そう思っているからこそ、自分はその価値をしっかりお客さんに伝えて、業界で影響力を持ちながら、ラーメン界での一定の位置を確立していかなきゃいけない。それが、育ててくれた人たちへの恩返しにもなるし、お客さんに美味しいものを届けることにもつながる。そもそもラーメンには、人を動かす力がある。一杯食べて感動して、“自分もこれを作って、誰かに食べさせたい”と飛び込んだ人もいる。それくらいのパワーがあるんです。回り回って、俺はやっぱり大勝軒がいちばん美味いと思っているんです。その思いを、自分の一杯に乗せて、お客さんに出していきながら、麺屋こうじグループを紡いでいきます」

── 二代目麺屋こうじ 店主・高橋和哉 氏

麺屋こうじグループの店舗

それぞれの屋号で、同じ一門。

遠くても、本家の味を自宅で。

全国どこへでも。麺屋こうじグループの味をお届けします。

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